大雨が増えている現実、どう受け止めるか

局地的大雨、集中豪雨、そしてゲリラ豪雨。
最近よく耳にする気象に関する用語を3つ並べてみましたが、
それぞれ、どのような雨のことを指すかご存知でしょうか。

 

局地的大雨は、夏などに積乱雲が発達して、短時間で局地的に大雨を降らせる現象です。
集中豪雨は、積乱雲が同じ場所で次々と発生・発達を繰り返し、
数時間にわたって強い雨が降り続くことを指します。
こちらは梅雨前線が停滞しているときや台風が接近しているときに
起こりやすいとされています。

 

では、ゲリラ豪雨はどうでしょう。

 

実は、ゲリラ豪雨は局地的大雨と同じ現象を指すのですが、
気象庁では「ゲリラ豪雨」という表現は使用していません。
大雨が降った1969年に、ベトナム戦争のゲリラ戦のように
いつ、どこで発生するか予測がつかないことから
メディアで使われたのがはじまりと言われています。
そして、2008年の夏、局地的大雨の被害が各地で相次いだことで
民間の気象情報サービス会社がゲリラ豪雨という表現を使い出し、
その年の新語・流行語大賞のトップ10にランクイン。
あまり喜ばしいことではないですが、それだけ一般化してしまったということですね。

 

いずれにせよ大雨が増えているのは事実です。
実際に、1998年(平成10年)〜2007年(平成19年)までの10年間と、
1976年(昭和51年)〜1987年(昭和62年)を比較すると、
1時間あたり100mmを記録する大雨が約2.1倍に増えています。

 

ちなみに1時間あたり降水量が80mmを超えると、傘はまったく機能せず、
視界が悪くなり、クルマの運転は危険な状態になります。

 

降水量が増えればその分、電柱の倒壊や落雷による送電施設の故障、
送電線の切断などにより、停電が起こることも。
すると、当たり前ではありますが、スマートフォンやパソコンすら使えなくなり、
業務がストップすることもあります。

 

しかも困ったことに、日本は温暖化による気温の上昇率が大きい北半球の
中緯度に位置し、気温上昇が世界の平均に比べて大きいようです。
今後も温室効果ガスを多く排出すれば、100年後は気温がいまよりも3℃高くなり、
気温の上昇により、年間降水量も増えると予測されています。

 

猛暑日や熱帯夜続きで、仕事のパフォーマンスが下がれば、人的なミスも増えますし、
いざというときに適切な判断がくだせなくなるかもしれません。
これは、事前にBCP(事業継続計画)を策定し、食料や蓄電池を備えて、
シミュレーションしておく必要がありそうですね。
防災対策を見直す際には、古河電池がお役に立てることも
あるかと存じますので、ぜひお声かけください。

 

 

参考
 気象庁ホームページ
 国土交通省「集中豪雨、局地的な大雨、台風による大雨について」資料
 「天気と気象100一生付き合う自然現象を本格解説」(オーム社)

 

 

 

関東大震災を振り返ったら衝撃の歴史が!

毎年9月1日は防災の日です。

 

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風をきっかけに、
翌年閣議決定され、創設された日ですが、
そもそも9月1日といえば暦の上では立春から数えて210日目、
太陽歴では220日目にあたり、台風が来襲する厄日とされています。
また、ご存知のように関東大震災が発生した日としても知られています。

 

さて、この関東大震災、さすがに1923年(大正12年)の出来事なので、
実体験として記憶している人の方が少ないですよね。
そこで、いまいちど被害の様子を知ることで、改めて防災を考えたいと思います。

 

関東大震災が発生したのは、1923年(大正12年)9月1日の正午前の11時58分。
震源地は相模湾、マグニチュード7.9、死者は約10万5千人でした。
地震による大火災が広がり東京は焼け野原となり、
震源域の神奈川県では津波や土砂災害による被害も大きかったようです。

 

古河電池の本社設立は、関東大震災から随分経ってからですが、
偶然にも本社(神奈川県横浜市保土ヶ谷区)の裏手、
現在、保土ヶ谷区役所や警察署、マンションなどが建っている場所に、
日本で屈指の紡績工場がありました。
そこが、全工場被害のうちいちばん大きな被害を被ったそうです。
地方から出てきて働いていた数多くの若い女工さんが犠牲になりました。
まさか古河電池本社のすぐそばに、そんな歴史があろうとは知りませんでした。

 

そして、同じ横浜でのエピソードをもうひとつ。

 

いまや、定番のデートスポットとして全国に知られる
山下公園(神奈川県横浜市中区)は、関東大震災の復興事業として
横浜市内で出たがれきを埋め立てて
1930年(昭和5年)に造られたことをご存知でしょうか?
開園5年後には復興博覧会が開催され、船溜まりでクジラが泳ぎ、
パビリオンが建ち並び、多くの人で賑わったそうです。
公園内にあるインド水塔は、被災した在留インド人が横浜市民から受けた援助への感謝と、
同胞の慰霊のために、横浜在住のインド人団体が建立したものです。
水塔の天井には色とりどりのタイルが埋め込まれ、とても美しいので、
横浜観光のついでに見学し、当時の人々の心の交流に触れてみてください。

 

自然災害の記憶は、良くも悪くも日を追うごとに薄れてしまいます。
ただ、日本は地震大国でもありますし、近年では大雨も増えています。
防災の日をきっかけにBCP(事業継続計画)を策定したり、
停電に備えて蓄電池の保守点検を行ってみてはいかがでしょうか。

 

 

参考
 内閣府防災情報ページ
 内閣府「広報ぼうさいNo.39」
 東京消防庁ホームページ
 日本地震学会広報紙「なゐふる2010年3月号」等